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▲圧方観音
■圧方観音
狗留孫山法華寺
別名「圧方観音」と呼ばれ親しまれている。
金剛峰寺の末寺。毎年2月18日に縁日が開かれ、多くの人の参拝客で賑わう。本尊は聖観音、不動明王、毘沙門天等


▲深谷一三佛
■深谷一三佛
一三佛の信仰は、浄土信仰に基づいて死者の追善の法事を修めるとき、その年忌に配された一三仏を信仰して極楽往生を願うものであり、深谷の一三佛はそうした供養を生前に行う(逆修)ものとして作られたものである。


▲船路八幡宮
■船路八幡宮
社伝によれば、天穂日命の出雲降臨の際に陽悦山の麓に奉祀したのを最初とし、御坂大明神と呼ばれていた
。社殿焼失により、宮河内に移鎮、応仁元年(1467)洪水により社殿流失、現在地へ移転された。明治4年3月神紙宮通達により、「御坂」の社号を止めて、「船路八幡宮」となった。


▲三坂神社
■三坂神社
当社は日清・日露戦争の際、当社に武運長久を祈願した人が全員無事に帰還したことが報道され、「弾除けの神」として有名になり、第二次世界大戦がはじまると、武運長久祈願のための参拝者が増え、一日800数人もあった。終戦と同時に参拝者名簿は焼却され、奉納写真の大部分は送り返されたが、1万点余りがまだいまだに当社に保管されています。


▲出雲神社
■出雲神社(掘、二宮バス停より徒歩3分)
霊亀元年(710)出雲国出雲大社から勧請したのにはじまるとされ、延喜式に名神として両祭神があげられ、徳地町では格式高い神社で、周防国二宮として尊祟されている。
お宮の横の大杉は、根廻り12.5m、幹廻りが8.3mもある老木で、古くから御神木として石の玉垣で囲み保護されている。
社は、天然記念物に指定され、ツルマンリョウの自生をはじめ、大杉等の貴重植物の宝庫でもある。


▲雨田公園
■雨田公園
明治三傑僧の一人、黙雷上人の記念家屋、雨田草堂があり、憩いの場となっています。


▲雨田草堂
■雨田草堂
島地上市にある雨田草堂は、島地出身の明治の傑僧黙雷上人の記念家屋である。雨田とは黙雷の雅号をとったものである。黙雷は和田に生まれ島地の妙誓寺の養子となった人で、晩年は教育事業に尽くしたといわれている。


▲花尾八幡宮
■花尾八幡宮
和銅4年(711)豊前国宇佐八幡宮より御神霊を賜りお迎えした。以来2度の火災にあい、現在の社殿は元明元年(1781)に造築されたもので、昭和33年11月町の文化財に指定され、ガラスの絵馬は県指定となっている。


▲青田祭り
■花尾八幡宮青田祭り
田植えを終えた八月初旬頃、虫除けや風水害から稲を守る大切な行事として行われる。


▲法光寺阿弥陀如来座像

▲阿弥陀如来像

■法光寺阿弥陀如来座像(県指定文化財)
阿弥陀如来の本尊として、法光寺(旧安養寺)創建とともに造られたもの。像の高さは128cmで、その彫りは力強く、鎌倉初期の特徴がよくでています。
又、最近この像の年輪が東大寺の仁王像(国宝)の年輪と同じということがわかり、注目を集めています。

 

 

■俊乗房重源
1180年平重衡による南部鎮圧の際、焼失した東大寺再建のため「大勧進職」に命ぜられた重源は1186年周防国に下向し、8月には杣作業を開始している。
彼の仕事は用材確保が第一であるが、同時に東大寺造営料国となった周防国全体の国務をも管掌した。
得地保の深山に分け入った彼は、活動の拠点として、安養寺(現法光寺)等を建立し、念仏を広めながら勧進活動を行った。苦心の末確保された用材により、東大寺が再建され1201年東大寺総供養が営まれ、再建事業はほぼ終わった。
彼の周防国管理は文治2年から建永元年までの21年の永きにわたった。
串法光寺の阿弥陀堂は、文治2年に重源上人が創建した安養寺古跡で、阿弥陀如来坐像の外観音、勢至菩薩、毘沙門天、不動明王及び重源上人自作の上人像など、八百年前の仏道を安置している。