蛭子ノ内の田圃の中に、流れ恵比寿と呼ばれる小さな祠がある。昔は、お祀りの日には相撲があったり出店が並んだりで、それは賑やかであった。
 これは、今の新庄から余田を経て田布施にいたる平野部が、平生湾へ通じる一連の水道であった昔のことである。八和田と蓮台寺の間の辺りは、唐戸の瀬戸と呼ばれていた。
 ある日、この瀬戸に、恵比寿様の木像が流れ着かれた。それを、蓮台寺の吉光法印がお迎えし、お祀りされたものである。
里謡にも、
  広い広島にゃ
  緑がのうておれぬ
  狭い田布施の
  田の中に
と、歌われている。
 一説に、この恵比寿様は、はるばる広島か潮に乗って来られたもので、そのため俗にいう宮島の七浦七恵比寿は一つ欠けているそうな。
 ともあれ、腰まで潮につかって難儀されたせいが、信心すれば腰から下の病に霊験あらたかである、という。











 地家にある西円寺に、古くから伝わっている蓮如様の御絵像がある。
 それは、いつ頃のことであったか。ある晩、本堂に盗人が入った。暗闇の中で、手当たり次第に大風呂敷に包むと、それを背負ってすたこら逃げ出した。
 平田川の上流辺りまで来た時、あまり重いのでめぼしい物だけを包みなおして、また何処ともなく逃げ去った。
 その夜のことである。井神の長井音吉さんの夢枕に、蓮如様がたたれた。信心な音吉さんには、その方が、西円寺の如来像の脇に掛かっておられる御絵像の蓮如様であることは、直ぐわかった。
 そして、
「おお、足が冷たい。早よう迎えに来てくれ。」
と、しきりにおっしゃる。
 不思議に思った音吉さんが、夜が明けて夢に見た辺りまで出てみると、水がちょろちょろと流れている場所に、ほどけた御絵像が放り出されていた。よく見れば、お軸の下は足のあたりまで水に浸かっておられる。
「ああ、なんと、もったいないことを・・・。」
と、音吉さんは、すぐさま西円寺の本堂までお連れした。
 こうしたことがあってから、この御絵像は「おみ足洗いの蓮如様」と呼ばれるようになった。この御縁から、同寺では今も、五月十四日の蓮如忌が厳修されている。











 八海(やかい)の丘陵上に、蟹守様という小さな祠がある。
 昔、田布施川の河口付近には、赤い色をした蟹がたくさん棲んでいた。ぞろぞろと陸に上がってきて、道はいうにおよばず家の中にまで入り込む有様であった。
「うっかりして、踏みつぶしちゃあ、かわいそうな。」
と、心のやさしい、村人達は相談した。
 そして、河口が望まれる一番眺めのよい小山の上に、小さいながらも立派な祠を造ると、
「どうか、蟹が出なくなりますように。」
と、お願いをした。 それからは蟹も出なくなって、なた穏やかな日々が過ごせるようになった。











 昔、尾津に、大田三津右衛門という船頭が住んでいた。祖父久右衛門の代には、お酒を商っていた。
 ある日、五反田の辺りで休んでいると、不思議にも竜女に導かれて海中に入り、乙姫様がいる竜宮を見てきた。また、その後にも、竜宮の遊び船というものに近付いてお酒を売り、価に扇子と小玉銀をもらった。それからは、毎年海辺に門松を立て、それを竜神が受納して海中に引き取っていた。
 そして、間もなくのこと。辺りの田園の中から、黒く輝く手毬のような珍しい石が出るようになった。村人は、それを玖の玉と呼んで、大切にしてきた。
 門松が立てられた海辺は、麻里府海水浴場として長く親しまれてきたが、今は立派な波止場に変貌している。