20.長者夫婦の薨去、作品と後裔
長者は般若姫の供養のために、予州高浜に大山寺を建立した。そして魚の庄(伊保庄)には、般若寺を建立した。
さかのぼって、欽明天皇の御代には、百済の沙門違城法師が、観音菩薩と医王如来の二尊を奉じて渡来し、長者の家を修築して安置したが、これが蓮城寺である。蓮城寺は、その後、立派な寺を建立し、有智山蓮城寺といって多くの仏像を安置し、長者―家の信仰いよいよ厚く、また、信徒も多くなった。このことが小野辺の連に聞えて焼討ちにあったが、長者の仏像は金亀が淵に沈めてその難を免れた。
なお敏達天皇の御代に陳壬の陰悦法師が薬師如来、弥勒菩薩、賓頭盧尊者(ひんずるそんじゃ)、の三尊を奉じて来航し、長者の家に入ったが、のちに深田の新居に入って、満月寺五ケ院を完成した。敏達天皇十三年には、千体薬師の木像が完成し、崇峻天皇二年に、ただ今のような堂守を建立して奉安した。内山観音蓮城寺の千体薬師というのがこれである。長者も、蓮城法師も、大へん長生きをされた方々であった。蓮城法師は、推古天皇三十五丙戌歳八月十日に九十一才で、遷化せられ、真名野長者は推古天皇十四乙丑歳二月十五日に九十七才で卒し、忌名号松林院殿、法名は、慈老院殿円通慈観大禅門、玉津姫は推古天皇十一壬戌歳三月十三日に九十一才で卒し、忌名号妙禅殿、法名渡妙善院法蓮浄心大師となっていて、今内山観音境内にある石造宝塔二基が、長者夫婦の墓といいつたえられている。
内山蓮城寺には小五郎が使っていたという古代鎌とまさかりをはじめ、焼俵、焼縄、花炭(稲穂や草花やすすきを焼いた炭)などが宝物として残っている。なお臼杵市深田には小五郎の七十八代の後えいといわれる、草川茂さん、昭和34年には71才で居られた。
また、先年(昭和32年?)内山蓮城寺が、大梵鐘を建造した時には、小五郎の子孫と呼ば
れる、神戸市長田区御屋敷通三丁目宍戸風子きんが奉納された。終りに内山蓮城寺関係のものが昭和十七年十二月十六日には文部省指定(重要美術品)昭和三十三年三月二十五日には大分県指定(重要文財)となっていることを申し添えておく。 |
あ と が き
この小冊子は、今から1,400年以前の欽明天皇時代の、都と九州と、わが町大畠周辺を舞
台に繰りひろげられた、一大叙事詩とも云える”般若姫”を郷土資料として刊行いたしました。
資料の大部分は、元柳井市立図書館長で 周防の郷土史家として高名な、故谷林博先生が
まとめられた資料によりました。
郷土理解の―助になればと存じます。
昭和57年8月1日 |
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