12.若宮牛飼いとなり笠掛けの的を射る
同年四月二日若宮は、山路という名前で長者の牛飼いになったが、山路が牛をつけるとどんな荒牛もおとなしくなり、牛に乗って笛を吹けば、その姿は気高く人々は心をう
たれた。
いつか夏も過ぎ秋の初めになった。若宮は山王権現に参詣して「自分が都を出たのは春であったが、今や秋の初めとなって望みの姫の姿は一度も見ることができません。この上は、神の力にたよらねばなりません。どうぞご助力をお願いします」と祈願した。
ところが不思議なことに、文月(七月)三日夜から姫は急病となったので、長者夫妻は大いに驚き家人二百人も集めて、上を下への大騒ぎとなった。神に伺いを立てると「姫の病気は諸神のたたりであるから、これをなおすには三重の松原に仮の神社を造営して、笠掛け的を射て神慮を休めよ」という神託があった。そこで三間四方の社を建てて用意をととのえた。この話を聞いて、近国の老若男女が郡をなしてつめかけ、おし合いへし合い大変な騒ぎであった。山路は射手となって出場することになったが、乗馬はなるべく荒馬がよいというので、野津原弥五郎の馬屋に育った、大竜黒という無双の荒馬に乗ることになった。
山路の装束は、肌に白絹を召され、にしきの直垂、大紋の綾をもって腕貫として、獅子の尾という剣を帯び、白木の御履ふみという姿であったが、山路は姫の臥家の方に向かって、弓をもって四方を払うと、姫は夢からさめたように病気がたちまち平癒して、床から起き出て、山路に向かって礼拝した。それから山路は荒馬に向かい「なんじは畜生であるがよく承れ。われこそ、当分第四の皇子である。望みあってこのたび的を射る、安らかにして害心を捨てよ」と、念じて側によると、不思議なことにこの荒馬は、頭をたれ、尾を伏せ前足を折って山路を拝んだ。
山路は網代の笠に七宝の瑠璃を飾り、まず、一番の馬場明けという荒駈けをして、乗り回すと不思議や、南方から白羽の鳶が、北方から白鳩一羽が飛んできて、神殿の棟にとまった。まもなく、長者夫婦に般若姫が、男女の家来を従えて、桟敷に入って見物することになった。射手は三人で、まず、―番の射手は、松尾軍太夫であった。彼は弓を満月のごとく引きしぼり、走る馬上から向うの松にかけた的を射たが、矢は的をはずれて、―尺ばかり上の松の枝を折って、向うの原へとんで行った。
二番手は岡本次郎。彼こそ必ず射当てるだろう、と見ていると的の下五寸ばかりの松の幹につきささった。
いよいよ山路である。山路は神前を礼拝して、心を静め、三つの的を諸々に立てさせ、九つのかぶら矢をもって馬を駈け出した。馬は電光のように速く走った。山路は走る馬上で弓に矢をつがえはっじ、はっしと射られると、ことごとく三々九度の的を射抜かれた。観衆はかん声をあげておどりあがってほめたたえた。山路は馬から降りて、神前を拝んだがその時、三羽の鳥が空へ飛び立ったので、山路はこれを見て「さてこそ御願を成就したか」と、そのあとを三度拝んだ。長者―家の喜びは限りなく、姫の病気平癒を賀してさざめきながら帰宅した。
なお伝えるところによると、「欽明天皇二十五年七月十七日、豊後の国三重の松原にて笠掛の的ありしより我朝令に至り神前においてやぶさめと名づけ射事この時より始まれり。かくて山路乗りたまいし大竜黒の駒、笠掛の的終りて即時に死すと書かれてある。 |
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