11.豊日の皇子下向と葉竹の笛
欽明天皇第四の若宮、橘の豊日の皇子は、玉絵の箱をご覧になってから、物思いに沈むようになられたが、長者が一人娘であるので、姫を差上げないので、皇子はいよいよ姫を恋され、豊後の国に下る決心を定められた。
欽明天皇25年2月21日(一説には17年2月21日とある)の晩若宮は、修業者に変装して、秘かに大内を忍び出られ、まず大和の国三輪明神にお参りして深く祈願ののち、夜を日についで下向し、弥生(3月)の末どる白杵の港につかれた。浜で漁師が沢山集って蛤をとっていた。この中の―人の老女に、真名野長者の屋敷を尋ねたところ、まだ遠いし山道だからとその晩は、その老女の家にさそわれ、もてなしをうけた。美酒を出きれ、うとうとしていると、老女に起きれ朝食を頂いて、いっしょに家を出て、lkmあまり行くと、朝日が上ってよい天気になった。その時老女は、「私は大和の国三輪の者でございます。あなたの行末を守るために、これまでお供をいたしたのでございます」と、いうと消えてしまった。若宮は「これぞ三輪明神の化身であられたか、ありがとうどざいます」と、そのあとをふし拝んだ。
三重の里近くの松原に来たところ、長者の牛飼いたちが沢山来ていたので、若宮はそれを見ながら休んでいると、手かどにわらびを入れ、鳩の杖をついた二人の老翁がやってきて、「ここに見えた修業者はどこの国の方か」と、尋ねたので、都の者ですが鎮西(九州)を見に参りました」と答えると、二人者翁は、口を揃えて「修業者は錦の袋に葉竹の笛を持たれているが一曲承りたい」「この山里で錦を知っていられるか、まことに不思議である」というと、「いくら山里でも真名野長者の居所ゆえ、都にないような珍しい物を見ている」と笑いながら答えた。
この「葉竹の笛」は、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、八百万(やおよろず)の神神楽を奏する時、草木から水が吹き出て、何をたいても燃えなかった。そこで女神が、機の御篠を持ち出して、火をつけたところが燃え出したので、機を残らず火にたいて着け薪とした。ところで笛がなくては神楽は舞えぬと、いうので猿田彦の拒宮が長間(しのえ)を持ってきて「これで笛を作れ」といった。けれども笛は枯れ竹では作れないので、「生ま竹を持って来るように」といわれたので、姫はこの竹を大地に突きさすと、たちまち一枚の葉ができて青竹になった。そこで、諸神は大いに喜び、手力男尊がこの竹で笛を作ったので神楽を奏することができたという。老翁はこの話をして、お身の持つ笛こそ確かにその笛である。これは代々天子の御宝であるが、修業者としてそれを持っているいわれはない。しかし、これは昔の物語である。今は三重の里の草刈り笛と申す。ぜひ一曲所望」というので、若宮はその笛を取り出してお吹きになった。その音律は、実に微妙で、三百の牛飼も、三百の牛も、耳を伏せ頭を垂れて、ただ聞き入るだけであった。
二人老翁は牛飼いの長を呼んで、この客人を長者の牛飼いにたのんでこの山にわけ入った。
これこそ、一人は宇佐の里の者、他の人はこの山里の山王であった。 |
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