般若姫伝説(3)

▲般若姫誕生

7.般若姫の誕生と黄金仏
人皇29代欽明天皇10巳巳歳5月8日、(一書には欽明天皇3壬戊歳5月8日とある。)玉津姫は女の子を安産した。
ところが、この子は生れて3日たっても泣かないので、心配したが玉津姫は、金亀が淵に水垢離で自分のあざが落ちました。主人も美男子になったことを思い出して、淵の水を汲んできてもらって、口の中に注ぎ込んでみたところ、そのとたんに泣き出したという。そこで口の中を見ると三ケ月の黒痣があった。これこそ月の精の宿る印であるというので、その名を般若姫(半如姫ともいう)と名づけた。
一書によれば、「生れし時、光一室を照らすゆえに玉夜の姫と名づく、後、観音の霊夢により般若姫と改む」とあるから、姫の美貌が想像されよう。その翌年百済の国から船頭竜伯というものが来て、黄金の鋳仏一寸八分の千手観音を奉持し、「百済の南に普陀羅国という島で先年漁夫が引上げたものでございます。霊顕あらたかな御仏で、船中に安置すれば、暗夜も月夜のごとく明かるく、悪風も起こりませんので、航海も安全です。それで般若姫様の守護仏として差上げます。」といって錦のしとねの上に安置し、わずか生後10ケ月の姫は、乳母の膝からはい降りて、小さな手を合せて三度これを礼拝した。
すると不思議なことに、仏の眉間から光明が姫の頭上を照らしたので、居合せた者は大変驚いて信仰するようになった。
そこで小五郎夫婦は黄金一千両を差出して「これは仏の代金ではない。姫の行末繁栄の一礼である。」といったので、竜伯は大そう喜んでこれを受けた。小五郎は更に唐土の精舎に、三万両の寄進を竜伯に託した。
上することにした。隼人正は、その見事さに仰天しそれを受取って帰京した。