1.炭焼小五郎の生い立ち
炭焼小五郎(真名野長者、真野長者とか四萬の萬能満長者とも書かれ、炭焼長者、草川山路、盤若姫伝説などとも呼ばれている)は、継体天皇(人皇26代)三己丑歳に三重内山(豊後の国二江の里)から約3km離れた、玉田に生まれ幼名を藤次といっていた。藤次は3オで父に、7才の時母に死なれ、哀れなみなしごとなり、路頭に迷う身の上となった。藤次は炭焼又五郎という炭焼の慈悲で引きとられ養育された。この養父母がこの世を去って(81才79才)その跡目をついで、名を小五郎と改め炭焼きをすることになった。
2.玉津姫豊後へ下る
その頃、奈良の都のほとりに御所につとめる、久我大臣の娘に玉津姫という絶世の美人がいたが、どうしたことか、にわかに体や顔にあざが出来、まことに醜い女になってしまった。
これまで降るようにあった縁談も絶えた。親娘は毎日暗い日々を送っていたが、大和の国三輪明神は縁結びの神様ということを間いた姫は、ある夜ひそかに家を出て、三輪の里に行き鏡の池で水垢離をとり、7日7夜断食ごもりをして縁結びの願行を行った。9月末の満願の夜、姫が一心に祈願をこめていると、にわかに一天かき曇り、雨は車軸を流すごとく、姫はびっくりしたが、いつかうとうとと、夢路にはいってしまった。その時容貌美しき者翁の姿が現われて、「姫そなたの夫は決っている。これより西、遠く九廿豊後の三重の里に、炭焼の小五郎という者がいる。愚かで自分の名も知らぬ山男だが、この者と夫婦になれば行末は、富貴自在にして栄耀は心のままである。決して疑ってはならぬぞ」と、おおせになって小さな杉の葉で、姫の頭から定先まで「善哉々々」といって払い、「行末を守護するぞ」とのべ杉の葉を姫の髪にさすと、姿が見えなくなってしまった。夢心地からはっとさめた姫は神前を伏し拝み、帰って両親にこのことを話し、豊後に旅立つことを願った。両親は遠方へ娘を出す不安から泣いてとめたが、娘の決心は堅いので、小判40両を身につけきせて旅立たせることにした。その翌々年の春2月、姫ははるばる豊後をさして出発したが、その時、16才であったという。
3.小五郎と姫の対面
姫は途中ずいぶん難儀をしたが、 3月13日ようやく豊後三重の松原にっいた。ここも人里離れたところで疲れはて途方にくれたが三輪明神の加護を念じていると、そこに薪負うた白髪の老人がやってきたので、事の次第を話し、小五郎に合わせてくれるようお願いしたところ、老人は「それはさぞお疲れであろう今宵はおそいからわたしの家に泊りなきい。明日合わせてあげましょう。」と言い、その夜は老人の情で一夜を明かし、翌日老人に伴われて、山麓の一軒家を訪ねたが、小五郎は不在であった。老人は「ここが小五郎の住家である。ここでしばらく休んでおればやがて主人が帰ってくるであろう」といったが、その声とともに姿は見えなくなった。 |
|