HOME>>観光案内>>坂上撫育所と玉野東平





 元冶元年(1864)吉川藩主経幹(つねまさ)は坂上地区の荒廃惨状をみて心を痛め、ここ東林寺に撫育役場を設置し撫育方に玉野東平を任命した。玉野東平(たまのとうへい)は方針を立て懸命に努力し地区に活気を与えたが、農民が大きく潤う事はなかった。
 このようなとき「四境の役」が起こり、坂上地区でも農民兵「北門団」が結成された。
 そして、渡の瀬や玖波方面で約二カ月活躍し、死傷者を出すこともなく凱旋した。北門団解体後団兵の一部が大根川の正覚寺に集合し、日当の値上げ要求の騒動を起こした。
 この騒動の責任を追求され、玉野東平は撫育方を罷免され逼塞(ひっそく)を命じられた。しかし維新後彼は東京に呼び出されて活躍し、やがて大審院長にまで昇進した。