=美祢市今昔物語=

太古・古代
●陸、海の動植物の化石の宝庫●
美祢市は石灰岩層からフズリナ、サンゴなど、
石灰岩からシダ、トクサなどの動植物の化石が
見られる化石の宝庫。
先土器時代から、カルスト台地や台麓は生活の
場だった。中村遺跡や下村遺跡を始め遺跡や古
墳も多く発掘されている。大化改新後、美祢郡
には美祢・位佐郷があり、陰陽連絡小路が通っ
ていた。
 

アンモナイトの化石

当時の村の様子
中世
●荘園から大内氏、毛利氏の時代へ●
美祢市城には大峯庄、伊佐庄、於福庄などの庄
園があった。領地では宇田源氏の血脈を引く伊
佐氏を始め、由利氏、河越氏、厚氏、麻生氏な
どがいた。
大内弘世が防長両国を統一してからは、大内氏
の重臣内藤氏や連歌の巨匠宗祗が訪れたことで
知られる杉氏などが新たに領地を持った。
当時、美祢は山口と下関などを結ぶ交通の要衝
だった 。
 
近世
●盛んに行われた新田開発と水利事業●
江戸時代、「地下上申」によると、18世紀半
ばの6村合計の人数は7,901人(2,25
5戸)であった。開作や灌漑施設の工事も盛ん
に行われ、230年(1610−1841)の
間に各村の石高は1.7倍から2.1倍増加した。
幕末には奇兵隊の宿営地がおかれ、伊佐が大田・
絵堂戦の前哨戦の場となった。
 

奇兵隊の宿営地

大嶺炭田
近代
●明治22年、6村でスタート●
明治22年の市町村制により、伊佐村、東厚保
村、西厚保村、大嶺村、於福村、豊田前村の6
村が誕生した。明治10年頃発見された大嶺の
無煙炭は、第一次世界大戦までは軍艦の燃料に
も使われた。この時代の大嶺炭田の最大産出量
は、昭和15年の523,058トン。石灰の
生産は明治10−20年に始まり、肥料用とし
て出荷し、その後飛躍的に量産され、現在多方
面に利用されている。
 

◆ ◆ ◆ お 知 ら せ ◆ ◆ ◆

美祢市商工会・美東町商工会・秋芳町商工会は合併して『美祢市商工会』となり、
各旧商工会のホームページは、『美祢市応援NET』に変更(統合)いたしました。

美祢市応援NET