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玖珂縮
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玖珂縮
玖珂縮(織物)は、寛永2年(1749年)の頃、玖珂町の富山秀意氏により考案されたものです、縮織技法では、日本でも初期のものです。
玖珂縮の由来と復活 現代から400年前後の江戸時代初期の岩国吉川藩領内で玖珂、岩国、柳井、由宇、阿月地方は、 周防国東部における織物業の盛んな地として栄えていました。 いろいろの織物の中で綿糸を原料とした木綿縮を考案創業したのは、当時の玖珂村字上市の聞光寺(明治5年に正光寺と改称)の第7世住職の富山秀意法師(享保10年 1725年生〜寛政元年 1789没 64才)でした。 秀意師は京都、丹波、丹後地方で仏教の教学修行のため遍歴し、織物製法を会得し帰郷の後、木綿縮の製法を苦心の末考案創業し、その製品を「聞光寺縮」又は「玖珂 縮」の名で販路を広げ、玖珂の農家のみならず一般の家庭の副業から本業へと農村産業の振興につくしました。その功績により明治18年には山口県原保太郎県令(後の 知事)よりその偉業を称え、追賞を受けました。 その後、江戸時代後期の文化年間(1804〜1818)、岩国の塩屋喜三郎氏はこの木綿縮製法の改良、機械化を進め、「岩国縮」の名で中国、四国、京阪方面にまで販路を拡大しました。 このように隆盛を極めた当地方の織物業も、明治から大正にかけて大資本の機械化による近代工業の発達により、アジアのマンチェスターといわれる阪神工業地帯におされて衰退してしまったのです。 現在に至り、玖珂町商工会の「むらおこし事業」の主導的取組みにより復元試作し「玖珂縮の会」を結成して、織機を使った織物「玖珂縮」を復活させ玖珂町の文化を示すことになりました。