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戦国時代末期に、この玖珂盆地に大内氏の三奉行家老の勇将杉氏一族の杉治部大輔隆泰は3万石の鞍掛城主として盆地内の大半を領有していた。

弘治元年(1555)安芸、備後国の戦国大名の毛利元就一族総軍は10月1日厳島の合戦で陶晴賢を滅ぼし11月10日〜14日に7千の軍勢をもって周防国に攻め込んできた。

最初の合戦が鞍掛合戦であった。杉方は2千6百の将兵をもって鞍掛城、町内の旧山陽道の南部北部に将兵を配置して毛利軍を迎え討った。

何分にも多勢に無勢、あえなく鞍掛城は落城したが、この古戦場谷津ケ原には将兵の千人塚、そのそばには女流作家の故宇野千代史直筆の追悼碑等が建てられ、城主父子の墓は杉家の菩提寺本町の祥雲寺に合葬されています。
 
周防源氏武田氏屋敷跡 明神山の本陣跡
町内に残る道標 数々の歌碑
防長大関藤の森の墓 遺跡発掘出土品展示場
臼田古墳 法学博士末川博生誕碑
鞍掛合戦古戦場千人塚