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 熊毛地区観光場所情報 PART3 

・PART1    ・PART2    ・PART3
 
 
  毛 利 元 就 公 歯 廟 

 毛利元就の七男で、慶長8年(1603)に三丘領主となった元政は、三丘領主として着任したその年、33回忌を迎える父元就の供養塔をたてました。その際に元就の遺歯を納めたことから、元就公歯廟と呼ばれています。

 
 

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  二 所 神 社 

 二所神社では、五穀盛長の神が祀られています。明治以後8月26日に行われる風鎮祭には、県の無形文化財の指定を受けている花笠踊が奉納されています。

 
 

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  大 蔵 経 

 大蔵経とは、仏教の経を一堂に集めたものをいいます。下魚切の円照寺には、篤学の人であった第十二世住職の時代に収集された、1,916部、8,534巻もの経本の大蔵経が現存しています。

 
 

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  新 畑 神 楽 

 熊毛神社と人丸神社の祭日に奉納する勝間の新畑に伝わる神舞です。舞子は五色の襷をかけて鉢巻をしめ、白足袋をはいて笛や太鼓、鉦を用いた囃子にのせて踊ります。

 
 

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  烏 帽 子 岳 ウ ッ ド パ ー ク 

 この烏帽子岳ウッドパークは、生活環境保全整備事業として、山口県と周南市熊毛地区が3ヶ年かけて改良、造成したみんなの森です。
 この森には、たくさんの樹木が植栽され、森の中には、起伏にとんだ散歩道が整備されています。人それぞれの好みに応じて森林浴、バードウォッチング、登山、ハイキング、キャンプなどを楽しむことができます。自然の中で家族、グループで四季を通じて楽しめる最高の場と言えるでしょう。
 国道2号線から八代へツルの監視所から約10分のところ。

 ↓ ↓パーク地図↓ ↓



@中央広場 A紅葉の森 B桜の森
C散策道 D魚切の滝 E展望台広場
F小鳥の広場 G赤松ヶ平からの眺望 Hコアジサイ

 
 
 

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  安 田 の 糸 あ や つ り 人 形 芝 居 

 浄瑠璃に合わせて約50cmの人形を両手先につけた五本の糸で操ります。この芝居は、三丘領主の宍戸氏が定めた安田市の催し物として阿波の松尾某という商人が伝えたことにはじまるといわれています。
 周南市熊毛地区では、「三丘三和会」を組織し、郷土の文化財として人形浄瑠璃の保存、普及に努めています。昭和43年に山口県無形文化財の指定を受けています。

 
 
 

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  吉 田 松 陰 ・ 寺 嶋 忠 三 郎 訣 別 の 地 

 安政6年(1859)、萩の野山嶽から、江戸送りとなり、“かご”で護送される『吉田松陰』。松陰を師と仰ぎ、かげながら見送る勤皇の志士『寺嶋忠三郎』。二人はこの呼坂の地で訣別しました。その場所に、師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられました。

 
 

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  徳 修 館 

 徳修館は、三丘領主宍戸氏(毛利一門筆頭)第8代宍戸就年によって土民教育振興のため、文化6年(1809)10月創立したものです。
 その後、弘化3年(1846)4月、第10代宍戸元礼(もとよし)の時、萩の明倫館に模して、本堂(聖廟)が新築されました。この聖廟が、現在残っている徳修館です。
 創立当初の徳修館は、中央に聖廟、左に講堂、右に習礼場(道場)などその建物は大小10棟(建坪150坪、495u)を数え、別に槍術場、乗馬調教練兵場などがあって総敷地面積は1町5反歩(15,000u)に及んだといいます。
 また、維新前には、生徒数402名(内、寄宿生48名)、教員数30名の記録があり、その盛況ぶりがうかがえます。
 しかし、維新の大改革により、徳修館も閉鎖される運命となり、明治3年(1870)10月1日、領主、家臣、生徒一同が徳修館に集い解散の式が挙げられ、その役目を終えたのです。
 昭和57年、山口県指定有形文化財となる。

 
 

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