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消災石

蔵掛山城趾(鞍掛山)

撒骨山砦

 

消災石
 鹿苑山漢陽寺といえば、ああ、鹿野町にあるあの古いお寺かと、曲水の庭や、錦川の水をひき田畑の用水とした潮音洞のことなど思い出されるだろう。いや、それよりか、おいしい精進料理のことかな。
 それはともかく、この寺には「消災石」と呼ぶ古い伝説の石が本堂に裏側にある。昔の銅版画の「山口県社寺名勝図録」(清水吉康著)にも、ちゃんと描かれている。自然石で長さ1m余り、厚さ80cm。この石にまつわる話が変わっている。
 その前にお寺の縁起にふれておくと、漢陽寺の創建は応安7年(1374)にさかのぼる。大内弘世が中国から修行して帰ってきた用堂明機禅師を長州に招き開山とし、その子盛見が開基となって伽藍をここ鹿野につくった。明機は九州諫早に生まれたが、31歳で唐(中国)に渡り杭州の径山寺で学び、名僧となった人。漢陽寺は一時200余の末寺を抱えていたという。
 ある夜のことである。明機和尚が、気が狂ったようになって僧堂に眠っている雲水や小僧たちを起こした。みんなは眠い目をこすりながら布団をけった。
  「今、わしが若い時にお世話になった径山寺が火事で焼けよる。早うあの庭の石に水をかけい。」

 と、大声で叫んだ。それを聞いた雲水たちは、池の水をおけに汲んでリレー式に運び、くだんの石にかけた。するとどうだ。石はもうもうと真っ白い水蒸気に包まれた。それはあたかも焼けた鋼を水につけたような、すさまじさであった。
 それから3年たったある日、明の国から二人の僧が漢陽寺にやって来た。明機和尚が出迎えて驚いた。径山寺からの使いの者ではないか。一通の書状をたずさえている。さっそく封を切ってみると、
  「3年前、径山寺の火災のときは、火を消すために大変お助けくださってありがたい。」

というお礼がしたためてあった。びっくりしたのは雲水や小僧さんたち。和尚さんの霊感というか、超能力の偉大さに感嘆した。だれが名付けたか、この摩訶不思議な霊石を「消災石」と呼び、傍らに標柱をたて大事に守ってきた。明機禅師の逸話は多い。唐から持ちかえった茶を広めたことでも知られている。超人の禅師にも入寂の日がきた。食を絶ち、お経を口の中で繰り返し、静かに息をひきとった。至徳3年(1386)10月。享年83歳であった。