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★女子道社入り口 ★おみくじ作製作業風景 ★屋外から

社名 有限会社 女子道社
住所 周南市
電話 (0834)68-2001
FAX (0834)68-2958

 

★社内のおみくじ頒布機 ★おみくじ頒布機

 

女子道社について

明治時代、当時のニ所山田神社の初代宮司宮本重胤氏は女性参政権をいち早く訴え、女性神主採用を提言した人でもある。「敬神婦人会」という全国組織を作り、強化の一環として明治39年に機関誌「女子道」を発行した。女子道の趣旨は“宗教の外に立ちて日本固有の敬神主義を行う”とあり、宗教色にこだわるだけの運動ではなかったのが特徴である。
 女性の解放運動もそのひとつで、大正2年には女性参政権の記事も掲載された。また当時、一般家庭では馴染みのなかった神前結婚式にも積極的に取り組み明治41年には、神前結婚式の執り行い方を記した「婚礼式につきて」という方法論もしたためている。
 こうした女性解放運動の一役を担った「女子道」は毎月6ページ編集で全国に配布された。しかし印刷所は鹿野村(現周南市)、発行所は東京と大規模な発行体勢となったこともあり、軽費が重くのしかかってきた。そこで機関誌発行軽費の捻出も兼ねて考え出されたのが、おみくじの製作販売である。和歌入りおみくじ文面は歌人でもあった重胤氏創案によるもので、その伝統は今日も同社の多くのおみくじに受け継がれている。
  自動販売機の先駆けとも伝えられるおみくじ頒布機の考案も重胤氏によるものである。
 八十年の実績を誇る羽車式みくじ機は発売当初より好評を博し、数度の改良を重ねた現在も電気不要の希少な自動頒布機として重宝されており、二代目清胤氏の代に開発された電動式みくじ機・献灯機付き電動みくじ機等と今日まで互角に出荷台数を競っている。
 さて終戦後、機関誌「女子道」はその役目を終え廃刊となったが、「女子道社」のおみくじ・おみくじ機作りは、今日まで脈々と受け継がれている。
 
 「おみくじは占いではなく、神仏の励ましの言葉です。」と、今の宮司でもあり同社三代目の宮本公胤氏。現在では二十種類以上に及ぶ「女子道社」製おみくじは、今日も創業当時のまま全て手折で仕上げられた後、清められ神社に祀られてようやく完成。「神仏の励ましの言葉」を一枚一枚のおみくじに折り込んで、全国の有名神社・仏閣から村の鎮守、遠くはハワイへまで約五千ヶ所以上に届けられている。