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■四境戦争の時の戦死者の墓
本郷村には昔から山代地方の中心地として重要なところでした。慶長のはじめ(1600年初め)毛利氏が統治を始めたころからは、特に経済的、軍事的面から重要視されました。
それ以前、戦国時代の毛利氏の防長攻略のときには成君寺城が戦場となり、幕末の四境の役のときには安芸への進撃軍の本陣が勘場(代官所)に置かれました。四境の役(慶応2年、1866)は大島口、小倉口、石州口、芸州口(小瀬川と亀尾川)の四ヶ所が主戦場となりました。