[大蛇の横行]

[山代地方の伝承]

[黒 袴]

[民謡]


●大蛇の横行

山代地方には爬虫類の横行した時代の名残を留めた挿話が幾つか残されている。

1.羅漢山上の大蛇昇天の事

明治廿二、三年の頃五月或快晴の日に府谷のものが本郷村に米を買いに行った。正午本郷に達すれば快晴と思われしに、計らずも大洪水になった。その洪水により本郷では家が多く壊され、倉(小島屋等)も倒され、専念寺の栗の大木が倒れ、山は崩れ、田畑は一朝にして石漠と化し、羅漢山より流るる本谷川の流域の橋は七脚までも落ち、モノコ川辺(羅漢山の下)に、当時道路より見ゆるヅエが二十有余、その一帯の地にヅエたるもの、実に三十有余ありしと。為に今なお石漠のまま田畑となすを得ず、当時の面影を存せるもの所々に散財せり。
里人の語るところに拠れば、正しく羅漢山の大蛇が山に千年を過ごし、このたび昇天したるものならんと。以前この山の池の側にある寺の住持 、日々合掌してお教を諷誦するや忽ち、この大蛇も出て来て、岩上にて常に傾聴しに居たりしに、この事ありて後、数十年は更に大蛇の影をだに見ざると。また、我聞く

「蛇は千年を海に住み、千年を河に住み、千年を山に居たれば、昇天するもので 、 若しその際昇天不可能の時は、又幾年か年月を要するものなりと」

いといぶかしき事ならずや。

2.城将山の大蛇

この山は広瀬村の北部に在りて、山口県と島根県との境をなす。昔或狩人がこの山にて鹿を獲んとして口笛をすさみ居たりに、不思議にも、つとある池より大蛇の我方指して迫るあり、狩人之を眺め恐れて曰く「お前の命を助けてやるから無暴な振舞をするな」と、大蛇曰く「諾」と、依って狩人は持ちたる銃を、とある大樹の枝に懸け棄て帰れり。以後この山にて銃を放つ者あれば決して大暴風雨ありと、故に放つもの無きに至れりと伝う。その時、木に懸けし銃の錆びたるもの今尚、樹上に存せりと

3.出合竹薮の大蛇

広瀬村字出合 出合橋附近で広瀬川に臨める旧吉川家(岩国藩主)所有の竹林の中に大なる二間四方もある円形の大穴あり。これも前説と同じく其昔大蛇の棲息穴にして、その昇天せし節は礫灰等を多く吹き上げしと言いはる。そして、この穴は一里離れたる河山村添谷字西谷天狗崎の蛇渕の穴に続きて、この穴を大蛇は常に通いしものなりと。併し今は遺跡のみで、小石などにより埋められ不明なり。然れども蛇渕と呼ぶ渕は今尚存して欝蒼たる緑樹に蔽われる。

4.五味の大蛇昇天の事

明治十四−十五年の頃 広瀬町字五味、正確には出合との中程の向こう岸で、某氏が晴天を利し魚釣り中ふとそこに在る蛇穴の水がブツブツと鳴り響き段々激しくなり白泡が立つので事一大事と思い滝より上り、ひた走りに帰宅した。その恐れにより某は病気となり、一年後三才なる児を残し遂にあの世の人となった。
その水は三間位も高く舞い上がり、滝の大岩は割れて五間位も飛び散り、小石に至りては遠くトウノウ(五味ノ岡の地名)の方まで吹き飛び、道路には一片の人影だに見ざる淋しき状態となれり。その折、蛇は昇天したるものならんと言わる。その訳は毎年五月頃には大蛇が田畑を通り抜け麦など三株位倒れ、両側に二株位は倒し過ぎし跡も往々見られたるも、その事ありて後は片影だも見しもの無きと。

5.池ヶ原の大蛇退治の事

往時広瀬村字出合の岡に池ヶ原と云う円形の池ありて、その付近如何にも淋しき竹薮なりき。この池に大蛇棲息せし事ありて、或日、街道べりの事なれば武士が所用ありて通りかかりしに、何の事もなく過ぎ、晩暗きに一人にて帰りかけ、そこを通らんとするや、何物か道にふさがりて、黒きカクイ(大木の切り株)の如きものあり。武士はいと不思議げに思案しけるに、恐らくは是れ此の池に住む大蛇ならんと。刀を抜く手も見せず、真二ッに切りたり。すると大蛇の頭はザーッと音を立て下の崖へと落ちたりと伝へらる。この池は今は田となれど、周囲の田は皆それより高く、中央に円形の低き田あり。こて即ち往時の池なりしと言う。切りしのち武士は恐ろしく身慓いして跡を見せず帰りたりと。

6.ニザアギ山の大蛇に逢いしこと

緑樹欝蒼たる秋中村のニザアギ山に大正十三年五月大田原の某なるものが、松を買わんとて見に行きしに、大岩の上に松の倒れたるかとばかりに思いて、よく近づき眺めたればさに非ず、大蛇の寝て居たるあり。某は驚きてひた走りに逃げしを大蛇も驚きて、その人の跡をつけしばらく追って来たりしと。その為某は帰宅後まもなく病んで死せり。