阿武町の歴史(明治〜大正〜昭和)




▲太用寺

[阿武と木喰(もくじき)五行上人]
 世に微笑み仏といわれる、独特の笑いをもった仏像を日本国中に多く作り残した行脚僧木喰五行上人は寛政9年(1797)奈古の法積寺に半月滞留しています。同寺には一体も遺作が残っていませんが山口市の洞春寺と、秋芳町の村上家に法積寺滞在中に彫ったとされる釈迦如来坐像と聖観音坐像が残っています。また寛政10年(1798)にも福田上の太用寺に7日ほど逗留していますが、明治末の火事で本堂が焼失し、遺作はわからなくなっています。


▲明治・大正時代の民具


▲奈古駅開業

[村制施行]
 明治4年6月徳山藩は山口藩に合併、同年11月廃藩置県、山口県が発足しました。明治6年大区小区制が施行されますが、近代的な自治村制は明治22年(1889)の市制・町村制の施行からです。この結果、奈古・木与両村が合併して奈古村が、福田上・福田下・宇生賀の3ヶ村が合併して福賀村が、宇多・惣郷両村が合併して宇田郷村が誕生しました。
 奈古村では、西村礼作が明治23年県会議員、27年から3期衆議院議員に選出。昭和4年奈古駅開設。17年町制を施行。
 宇田郷村では、昭和6年惣郷大火、宇田郷駅完成。8年山陰線が全通しました。
 福賀村では、明治45年秋枝弥熊が組合長となり、宇生賀の耕地整理を行いました。