阿武町の歴史(安土桃山〜江戸)




▲尼子義久の墓(大覚寺)


▲尼子義久像

[大覚寺殿]
 山陰の雄尼子義久は、永禄9年(1566)毛利氏の軍門に降り、安芸長田の用明寺に幽閉、許されて一族が奈古にきたのは、関が原の役後毛利輝元から友林(義久)・瑞閑(弟倫久)に奈古・紫福に1192石が与えられてからです。義久は慶長15年(1610)没しましたが、義久が帰依した光応寺の住職恵心和尚は、義久の法号大覚寺殿によって寺号を大覚寺と改めました。


▲根来勢祐の墓(萩市楞厳寺)

[宇生賀と根来氏]
 近世宇生賀は蔵入地の他、根来・益田・中村の三領主がいました。(地下上申)
 益田市は元祥(牛庵)4男の就之が宇生賀・木与(一郷一村知行)を分与されたもの。就之は宇生賀本光院の開基となっています。
 根来氏は楠木正成の直系、子孫は代々紀州根来寺の末寺(岩室坊)の院主となり、僧兵、鉄砲組を養っていました。9代目の勢祐が関ヶ原の役に輝元に招かれ、1335人精兵を率いて西軍に応じました。戦後も節を守って毛利氏に仕え、宇生賀に1591石を与えられました。
(閥閲録根来主馬)勢祐と伝えられる墓は萩市楞厳(りょうごん)寺に五輪墓、累代墓は弘法寺にあります。