阿武町の歴史(弥生式文化〜飛鳥時代)



▲古墳時代の須恵器

[ルーツ・阿牟の国]
古代、阿武国は阿牟国とも書かれ、その領域は、現在の阿武郡、大津郡、そして豊浦郡の北部でした。大化改新後、阿牟国は宍戸国と合併し、長門国となりました。この時、元の阿牟国は阿武郡と称せられ、これが現在の地名の起こりとされています。 阿武町は現在、奈古、福賀、宇田郷地区から成り、福賀地区は弥生時代から生活の舞台となっていました。

[福田盆地の開発]
福田下の南方台地には、弥生時代の市ヶ原遺跡があります。その東には小規模の円墳山崎古墳もあって、これらの遺物・遺跡によって弥生時代からこの他に先人たちが居住して農業を行い階層も分かれて社会生活を営んでいたことがわかります。


▲御山神社


▲御山神社経塚跡


▲御山神社出土品

[惣郷と御山神社]
昭和49年、惣郷の御山神社境内で経塚が発見され、墨書の法華経の入った経筒、銅鏡・青白磁の合子・短刀などが出てきました。古代末期の経塚からこれだけ揃って出土したものは珍しく、県の文化財に指定、付近の土も県史跡に指定されました。 平安末期には紀州熊野参りが盛んで、蟻の熊野参りと言われ、末社「熊野九十九王子」もできました。御山神社は「往古紀州熊野三所権現を勧請」(注進案)したものですが、惣郷の新宮山・尾無などの地名は紀州熊野の地名によると言われ、阿武郡下には権現社・王子・若一王子社が多いのも事実です。 また熊野権現は山伏を先達に全国に、布教、大きな経済力は金融業・海運業まで行いましたが、御山神社説話の筑紫の長者もそのような人物で、経塚出土の中国宋代景徳鎮の白磁合子も彼等に関係あるかも知れません。次に法華経については「本朝法華経験記」に、長門国阿武大夫入道沙弥修覚の話がのこっていますが、悪行の彼も道心を起こして読経し輪廻転生したとされています。法華験記には熊野権現説話と紀州熊野山の説話が10話もあります。輪廻転生後の彼は「法華経を持して一心に読み・・・」とありますが、彼に仮託された人物が作善の一つとしてここに納経した、とすることも考えられるでしょう。さらに、御山神社の宮座組織から「惣村」が生れ。郷名の由来となりましたが、戦国大名の強い領国支配で、その自治組織は育たなかったのではないでしょうか。