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[安土・桃山時代]
1591年
豊臣秀吉は毛利輝元に、安芸、周防、長門、石見、出雲、備後、隠岐と伯耆、備中の一部合わせて高112万石を安堵する。
1596年
この頃奈古村上の浴に尼子義久移住す。
1600年
関ヶ原の戦い、西軍が敗れる。毛利輝元・秀就父子は、徳川家康から改めて周防・長門の2ヵ国を受領する。
[江戸時代]
1605年
元知(義久養子)、義久の奈古領と倫久の紫福領を相続 
1610年
尼子義久奈古村上の浴に死す。
1621年
奈古村徳山藩領となる。
1625年
寛永検地の結果年貢五公五民となる。木与村を木与部落とし、阿武郡34郷村となる。
1650年
木与村に庄屋、畔頭の制度設けられる。村内諸公事ついての権限を与えられる(庄屋矢田惣左衛門)。
1667年
幕府巡検使通過。
1690年
奈古浦大火。122軒焼失。
1699年
木与村宇田村の支村となる。
1703年
奈古村出火。131軒焼失。
1707年
徳山藩奈古浦困窮のため鯨組取立仕立銀29貫目米70石を貸下げる。
1711年
朝鮮信使接待役として木与村庄屋矢田惣左衛門出役す。
1712年
木与弁財天宮建立。
1713年
木与稲荷宮建立。
1714年
弁財天社、海宝山に鎮座。10月に再興。