[彦六・又十郎物語] [木村源内の化物退治] [弥三郎きつね] [首切れ地蔵] [淵が平の滝]

彦六・又十郎物語


 毛利の殿様が、萩にお城を造りなさるようになってから、年貢米のとりあてが、えらいきびしゅうなってのう。村の暮らしは、ひどいものじゃった。
 そりゃあ、お城を造るにゃあ、ようけ銭がいるし、中国八カ国におったお武家様が、一緒にきんさったのじゃから、その人たちにお給金もあげにゃあならんし、しょうのないことじゃったろう。
 つくる米みゃあ、はしからもって行かれて、食べるもなぁないし、着るもんにしても、ありゃあいけん、こりゃあいけん、ちゅうて、やかましかった。
 ええ日よりに畑に出ようと思うと、お城造りや、殿様の道づくりがあって、仕事ができゃあせんかった。


 でものう、みんなよう辛抱して働きよった。この辺の山ぁ、みんな草が立っちょって、夏の暑い日にゃあ、みんな刈って、田のこやしにしよった。冬にゃあ、奥山へ行って炭を焼いたり、わるきを作ったり、小木やはなしばを採って、萩に売りに行きよった。
 椿の大屋に、口屋ちゅうのがあってのう、そこで口屋銭(こうやせん)ちゅうて、売りに行く炭俵の数で税金をとられよった。そこの役人が、また悪い奴で、村の者から、きまりよりようけ口屋銭をとって、自分の酒代にしよった。
 昼間から酒をくろうと、赤ぁ顔をして、「にたぁ」と笑うと、背筋が寒くなりよった。「どねえかならんのか」ちゅうて、みんな悪口ぅいいよった。