[彦六・又十郎物語] [木村源内の化物退治] [弥三郎きつね] [首切れ地蔵] [淵が平の滝]


弥三郎きつね

 そこで、思いだしたのが殿様行列のことでした。一人歩きのお侍が、仲間を従えていたことや、行列の中の立派なお侍が、土山屋に泊まったことです。
 さっそくお金を用意して、仲間をやとい、目鼻立ちのととのった気品のある若侍に化けて、萩へ向けて出立しました。佐々並に来て、予定通り土山屋に入りました。土山屋の主人は、下へも置かぬ丁重さで、弥三郎迎えて、上の間に案内しました。そこで弥三郎は、
「一夜の宿をお願い申すが、ちと事情があるので、仲間は別の部屋をご用意いただきたい。また、拙者(せっしゃ)の部屋の準備ができて食膳を運ばれたら、翌朝までは、一切おこまいなく願いたい。」
といって普通の人の倍の宿賃を主人に渡しました。主人は、さっそく女中を集めて、弥三郎の申し出を伝えるとともに、廊下での立ち聞きや、のぞきみを堅く禁じました。
 こうして弥三郎は、年に何回か土山屋に泊まって、萩のおさんに会いに行っておりました。
 何年か過ぎたある日のことです。つとめはじめたばかりの女中が、弥三郎の部屋係になりました。女中は気品あふれる若侍の部屋係になって、心はずませて、部屋の準備をしながら、いろいろと話しかけますが、弥三郎は一言も口をきいてくれません。夕方、食膳の用意が出来ました。上品な口もとをした若侍が、二合近くはいっている※物相(もつそう)のご飯を、どうして食べるか、その所作をみたいと思いましたが、女中の前では箸に手をつけようとしません。
 仕方なく女中は、部屋を下がりました。一旦は階段を降りましたが、どうしても見たくてたまりません。
 再び、そっとひき返して若侍の部屋をうかがいました。その時、弥三郎の姿が、にぶい行燈(あんどん)に照らされて障子に写っていました。まぎれもなく若侍は、食事をしています。しかし、物音ひとつしません。女中は、もうこられきれなくなりました。
 とうとう禁を犯して、のぞきみをしてしまいました。これに気付かぬ弥三郎ではありません。さっと姿をかえて、宿を出ていきました。そして、二度と土山屋に泊まらなくなりました。
 このことがあってから、隆昌(りゅうしょう)をきわめていた土山屋から、時代の流れの影響もあったのでしょう。しだいに客足が遠のいたということです。(佐々並村史より)


※物相・・・・ご飯を盛る食器、1〜2合入った。
※大名行列
 行列は、往還(江戸へ向かうこと)、下向(江戸から帰ってくること)とも山口と三田尻に泊まった。記録に残る一番大規模な行列は、貞享元年(1684)吉就初下向の1663人である。その後少なくなって、宝暦2年(1752)重就初入国の時は、564人となっている。大体平均1000人程度であった。(萩往還より)